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羽衣伝説と道真伝説

余呉に伝わる羽衣伝説は代表的なもので3つあります。

伊香刀美『帝王編年記』より

 余呉の郷の湖に、たくさんの天女が白鳥の姿となって天より降り、湖の南の岸辺で水遊びをした。
それを見た伊香刀美は天女に恋心を抱き、白い犬に羽衣を一つ、盗み取らせた。

 天女は異変に気づいて天に飛び去ったが、最後の若い天女の一人は、羽衣がないため飛び立てない。
地上の人間となった天女は、伊香刀美の妻となり、4人の子供を産んだ。
兄の名は意美志留(おみしる)、弟の名は那志刀美(なしとみ)、姉娘は伊是理比咩(いざりひめ)、妹娘は奈是理比咩(なぜりひめ)。
これが伊香連の(伊香郡を開拓した豪族)の先祖である。

のちに天女である母は、羽衣を見つけて身にまとい、天に昇った。
妻を失った伊香刀美は、寂しくため息をつき続けたという。

古い文献によれば、奈良時代のころ、余呉ではこのような羽衣伝説が語られていました。
羽衣伝説は白鳥処女説話の一種と言われます。
余呉湖の羽衣伝説は日本の羽衣伝説の中で最も古いと言われています。


七夕伝説『雑話集』

 昔、近江国余呉の湖に、織女が降りて水浴びをしていると、土地の男が通りかかり、脱いであった天の衣を隠してしまった。
織女は天に帰れず、やがて男の妻になった。

  織女は子供を産んだのちも、天に帰りたい気持ちは失せず、声を忍んで泣いていた。
男が出掛けている間に、子どもが父の隠した天の衣を母に渡したので、織女は喜び、衣をまとって飛んでいった。
「私はこういう身だから、簡単には遭えないが7月7日はこの湖で水遊びをしましょう。その日なら会えますよ。」
そう母は子どもに泣きながら約束した。

織女の子孫は今もいると伝えられています。

これは、余呉の天女伝説に七夕伝説が結びついたものです。

余呉湖畔の天女像

余呉の天女伝説は様々に変化していきましたが、白鳥の習性そのままに
「水辺に降り、水浴びをし、羽衣をまとい、子どもを産み、最後は元の所へ帰る」という構造はかわりません。

 

道真誕生伝説『日本地誌大系』

昔、湖辺の村・川並に桐畑太夫という漁師がいた。
あるとき、芳しい香りにひかれるまま、一本の柳に歩み寄ると、色鮮やかなうすものが掛かっている。
うすものを取った太夫が振り返ると、美女がいて
「私は天国の者。余呉の湖の美景に憧れて年に一度、水浴びをしています。どうか羽衣を返してください。」と懇願した。
が、太夫は羽衣を隠して返さない。
争った果てに美女は天に帰ることを諦めて、太夫の妻になった。

天女は天上界のことばかり思って、涙のうちに暮していたが、やがて、玉のような男の子を産んだ。
ある日、「おまえの母は天女様 お星の国の天女様 おまえの母の羽衣は 千束千把の藁の下」
と子守が歌うのを聞いた。裏庭の藁の下を探すと、案の定、羽衣があった。
天女は大いに喜んで羽衣をまとい、天上遠く飛び去っていった。
菅山寺の僧・尊元阿闍梨は、この話を聞き、母のないおさなごを憐れんで、
寺に連れ帰って養育した。この子どもはのちに、菅原是善卿の養子となった。
すなわち菅原道真である。


天女が羽衣を掛けた衣掛柳

余呉駅から余呉湖をめざして歩きだせば、必ず目に入る大木が衣掛柳。
天女が羽衣を掛けた柳として登場するのは、この木だと伝えられています。

こんもりと傘のように枝を張る衣掛柳の姿は、柳の一般的なイメージとはかなり異なります。
しだれ柳とは別品種のマルバヤナギという植物です。

余呉以外の地域の天女伝説は、羽衣を掛けるのは、ほとんどが松です。
柳が登場するのは余呉だけです。
湖を舞台とする余呉湖の天女伝説には、松より柳がふさわしいですね。